空気が支配する国 物江 潤
要約
宗教は正義の基準を指し示すものであるが、 宗教色が弱い日本では何が正義の基準を持つのだろうか。 その答えが空気である。周りの人間と同調することで心理的安心感を得られる。 一方で、空気は万能なものではない。その時その場所に限って力を発する事がほとんどである。長い目で見ると、その場の空気を感じ取った上で、自らの正義の基準を強く持つ決断が必要である。 より良い集団のためには、空気に異論を唱えたものを賞賛する空気を創造するのが手段の一つだ。
メモ
- 空気とは 曖昧な守らなくてはならない掟
- 諸外国のような明確な掟が少ないから、仕方がなく、何が正しいのか探ることを空気を読むと定義すれば良い
- 同調せずとも、ペナルティーが課される恐れがないならば、そこに空気は存在しない
- 外国にも同調圧力はある。もし日本特有の息苦しさがあるとすれば、それはつよい同調を強要されることではなく、何にどれだけ同調すべきなのかが必ずしもわからないことだ。日本的な特徴は、同調圧力が強い事では決してない。
- もしも、人間より偉い神様がいて、その神様と約束していたら、同調圧力よりも強力な命令が発生する。 神様との約束に反するような同調圧力が生じても、神様の命令を優先するため、同調圧力には従わない。
- 空気は容易に変更できない。 刻々と変化していく状況に合わせて、臨機応変の対応が求められる中で、変更不能な掟が人々を拘束するリスクは、計り知れない。
- 日本人は何が正しくて何が正しくないかを判断する基準をあまり持っていない。
- 批判にさらされたときたとえ反論ができても、火に油を注ぐようなものなので、自分自身の利益を最大化するためには、黙るか謝罪するかを責められる店も異常さを際立たせている
- 議論のルールを守れるのであれば、レッテル張りは許される。議論のルールを守れないならば、決して推奨はしないものの、レッテルを貼られても仕方がない。
- 議論のルール
- 自らの主張は仮説に過ぎないと確信すること
- 他人の発言権利を奪わないこと
- どれほど奇妙に思える主張でも理由付けや事実でその良し悪しを判定すること
- 自分たちが持つ信仰を絶対とし、他の宗教を信じる人々を絶対悪とみなした。その結果、中世のヨーロッパは争いを繰り返した。
- どちらが善であり正義であるかをめぐる争いは、歴史が示唆するように、不毛な結末を迎えることが大概です
- 万人の認める公理から出発する数学とは違い、俗世に万人の認める公理はありませんから、論理を展開するためには、自ら出発点を定めることが必要。
- 数学を知れば、言葉による論理があまりに不完全であることもわかる
- 空気は決して普遍的なものではなく、その時その場にいるごく1部の人々を拘束する特異なものに過ぎない。外から眺めれば理解し難い偏狭なものであることもよくある。
- 空気に支配されている最中は、空気の存在に気づけず、空気を過大評価してしまう
- 対人関係では楕円を作ることが大事。楕円とは2つの中心を持つ縦や横に歪んだ円
- 空気に抗うような意見が登場した場合には、それほど馬鹿げたものに見えようとも、他の意見よりも尊重すると言う心構えが求められる
- 仮に慎重に討論がされ、やはり非合理的で馬鹿げた必要であることが判明したとしても、空気に異を唱えた、勇気を褒め讃え、努めて抑制的な批判で応答するべき